麗峰、富士の南、いわゆる岳南地帯は広大な山麓と豊かな沖積平野、そして良質豊富な地下水と温暖な気候、これらの自然条件に恵まれて、新しい工業地帯としてめざましい発展をとげてきました。
なかでも、富士山麓の清冽な湧水により、江戸時代すでに駿河半紙の特産地となり、この地方が現在屈指の紙、パルプ工業地帯に成長する大きな要因となりました。特に戦後はめざましい経済復興及び生活様式の変革に伴う紙の需要量の増加に支えられて、著しい発展を示し、岳南地域は紙、パルプ産業の一大工業地帯となりました。
紙、パルプ産業の発展は必然的に水使用量の増大を伴い、多量の排水を排出し、このため河川の汚染は、はなはだしくなり、河水を利用する下流の農業に与える被害も逐年増加していきました。
昭和25年頃、これら工場排水に起因する企業者と農業関係者との紛争は極に達し、大きな社会問題になるに及んで、昭和26年から岳南地域の健全な発展のため静岡県は岳南排水路の建設に着手したものです。
岳南排水路は当初、このように農作物に対する被害を除去するため、上流側から施工されてきましたが、産業の発展に伴い、次第に下流域の整備が必要となり、今日の岳南排水路の系統が形成されたもので、終末処理場の必要性は排水量の増大に伴い、常に建設の過程で論及されていました。
しかし、当時の社会情勢、公共投資枠からみて、なかなか実現されず、昭和44年頃からの公害問題が世間の注目を集めるに及んで、その実現が期待される段階となりました。
昭和44年11月静岡県は、各界の専門家を委員とする「岳南排水路汚水問題研究会」を創設し、排水の最終処分に関する具体的検討に入りました。一方、国においては公害対策本部、建設省、通産省、経済企画庁等の関係機関において、地元意見を聴取しつつ、協議検討を重ね、大企業は工場による個別処理、中小企業は岳南排水路の終末処理場に委ねる等の基本方針が決定されました。
これらの方針をうけて県は、岳南排水路汚水問題研究会に対して岳南排水路終末処理場の計画に関する検討を依頼し、その提示された案に基づいて、日量80万立方メートルの処理能力のある終末処理場計画を策定し、さらに昭和46年6月都市計画として決定されるに至りました。
しかしながら、終末処理場、ゴミ焼却場、し尿処理場等廃棄物の処理場建設などにつきまとう地元意見の不一致、工場による個別処理と共同処理(終末処理場)の優劣の比較に関する見解の相違、新法により新たに設定された排水基準(全国一律基準)に対する対応策の問題(企業の二重投資の問題)等本計画を事業化するには、これらの問題解決が必要急務でしたが、遅々として進まず、いたずらに日々が費やされました。
このため県としては、排水基準の規制期限を考慮し、これ以上時間を費やすことは、ますます事態を混乱させるとの配慮から全工場による個別処理に方針を決定したため、本計画は事業化されず、中止のやむなきに至ったものです。
岳南排水路は、昭和26年都市計画水利施設事業として建設に着手し、昭和49年までの20数年間に富士宮市泉町~田子の浦港に至る約33kmの排水路(φ300~□4,800mm)、ポンプ場1か所を建設しました。
その後、岳南1号排水路の一部に老朽化が進み、その安全性が危惧されたことから、管理組合は岳南排水路1号バイパスの建設を計画(昭和57年国の事業認可)し、昭和60年度までに延長約3kmが完成しました。また、単独事業の流下能力対策として、平成17年度までに延長約2kmの新設排水路を完成し、現在、排水路の総延長は、約38km(岳南幹線排水路から岳南5号排水路まで6排水路24路線)となっています。これまでに岳南排水路の建設に要した事業費は総額約59億円です。
年次 | 事項 |
昭和25年 | 当初計画(岳南1号排水路<富士宮市~鷹岡町>) |
事業名 都市計画水利施設事業 | |
昭和26年 | 同計画決定 |
昭和27年 | 同事業着手 |
第1回計画変更(執行年度・ルート変更) | |
昭和30年 | 同事業完成(岳南1号排水路) |
昭和32年 | 第1期計画(岳南1号排水路<鷹岡町~吉原市>、岳南2号排水路、ポンプ場設置) |
事業名 特別都市水利事業に変更 | |
昭和33年 | 下水道法施行 |
第1回計画変更(起点付近の線形変更) | |
岳南1号排水路着手 | |
昭和35年 | 第2同計画変更(岳南1号・2号排水路の支線追加) |
事業名 特別都市下水路事業に変更 | |
岳南2号排水路着手 | |
昭和37年 | 第3回計画変更(処理場計画構想に伴うポンプ場計画削除) |
岳南1号排水路完成 | |
昭和38年 | 第2期(前期)計画(岳南3号排水路<今泉ポンプ場を含む>、岳南幹線排水路) |
岳南3号第4、第5排水路、岳南幹線排水路着手 | |
岳南2号排水路完成 | |
昭和39年 | 第1回計画変更(岳南3号第4排水路管径、ポンプ場規模能力の変更) |
岳南3号第1~第3排水路着手 | |
昭和40年 | 第2回計画変更(岳南幹線排水路起点及び線形の変更) |
昭和41年 | 今泉ポンプ場着手 |
吉原市・富士市・鷹岡町が合併し富士市となる | |
昭和42年 | 第2期(後期)計画(岳南4号、5号排水路追加、岳南幹線排水路の延長、岳南1号分排水路、砂山ポンプ場新設) |
岳南幹線排水路完成 | |
昭和43年 | 岳南3号第1~第5排水路完成 |
今泉ポンプ場完成(φ700㎜4台、30万立方メートル/日) | |
岳南5号第1排水路着手 | |
岳南排水路管理組合(一部事務組合)設立(完成施設の維持管理) | |
静岡県から既存施設を無償譲与 | |
昭和44年 | 岳南1号分排水路着手 |
暫定使用料金設定 | |
昭和45年 | 第1回計画変更(岳南1号分排水路線形及び終点位置の変更) |
岳南幹線排水路完成(和田川~貯木場) | |
公害14法制定 | |
田子の浦港に排出される水質基準の設定(経済企画庁告示) | |
昭和46年 | 岳南5号第1排水路完成 |
第2回計画変更(終末処理場、処理場取合管の建設、岳南4号排水路終点位置の変更) | |
終末処理場建設中止し全企業個別処理に決定 | |
静岡県から岳南5号第1排水路を無償譲与 | |
昭和47年 | 岳南1号分排水路完成 |
昭和48年 | 岳南5号第2排水路、岳南4号第1排水路着手 |
(事業主体 富士市) | |
県上乗せ排水基準条例施行 | |
使用料金設定(今泉ポンプ場経由0.45円、その他0.30円) | |
岳南5号第2排水路完成 | |
静岡県から岳南幹線排水路、岳南1号分排水路を無償譲与 | |
富士市から岳南5号第2排水路を無償譲与 | |
岳南5号第3排水路、岳南4号第2排水路着手 | |
昭和49年 | 岳南4号第1、第2排水路完成 |
岳南5号第3排水路完成 | |
富士市から岳南4号第1排水路、岳南5号第3排水路を無償譲与 | |
昭和50年 | 建設協力会から岳南4号第2排水路無償譲与 |
岳南1号排水路管内空間部に腐食発見(安全性等について調査委託) | |
昭和52年 | 岳南排水路管理組合庁舎完成 |
昭和53年 | 岳南排水路維持管理問題検討会を設置 |
昭和54年 | 検討会から岳南排水路の管きょ腐食問題に関する調査の中間報告 |
昭和55年 | 使用料改定(今泉ポンプ場経由1.55円、その他0.90円) |
岳南排水路施設腐食防止にかかわる暫定指導指針により使用者へ硫化水素ガス発生防止指導 | |
昭和56年 | 都市計画変更決定(岳南排水路終末処理場予定地、処理場の取合排水路の廃止) |
岳南排水路1号バイパス建設事業計画の策定 | |
(事業主体、管理組合) | |
昭和57年 | 岳南排水路1号バイパス建設事業が建設省都市局所管の都市下水路事業として採択される |
岳南排水路1号バイパス建設事業着手 | |
昭和58年 | 岳南排水路維持管理指針と解説を作成発刊 |
昭和60年 | 岳南排水路1号バイパス建設事業完成 |
昭和61年 | 岳南排水路管理組合史発刊 |
平成3年 | 使用料改定 |
基本料金 算定許可排水量1立方メートルにつき10.3円 | |
従量料金 排水量1立方メートルにつき1.2円 | |
平成7年 | 工場排水熱利用ヒートポンプシステム完成 |
(岳南3号第1排水路) | |
平成9年 | 富士市から岳南2号第5排水路上流管路を無償譲与 |
平成14年 | 岳南1号第7排水路延長工事着手 |
平成16年 | 使用料単価を消費税法の改正に伴い、総額表示方式(単価に消費税を含む)に変更 |
基本料金 算定許可排水量1立方メートルにつき10.815円 | |
従量料金 排水量1立方メートルにつき1.26円 | |
平成17年 | 岳南1号第7、第9排水路完成 |
平成19年 | 岳南1号第4排水路一部布設替完了 |
平成20年 | 富士市・富士川町が合併し富士市となる |
平成21年 | 岳南排水路管理組合庁舎改築工事完了 |